児童期の体験が成人の健康と精神疾患発症に与える影響

私は、これまでの研究を通じて、人間の心理現象を理解するのは、目の前にいる一人の患者の心理状態を詳細に観察するだけでは不十分であると考えています。

ひとは、生まれてから死亡するまでのライフステージのいずれかの時点に置かれており、この営みは次の世代へと伝えられるライフサイクルを形成し、さらにこうした人間の発達は、家族・友人・知人・同僚・地域住民といった周囲の人々との対人関係の中で形成されており、さらにこうした人間関係は、文化・風土・法制度などさらに広範囲の環境のなかに位置付けられているのです。

医療や福祉は、こうした全体像を理解することで、個人個人をより深く理解でき、そのことが個人の価値に沿った医療を展開できる基礎になります。こうした言明を具体化したものが、ライフステージ、ライフサイクル、文化というキーワードで精神医学と精神科医療を俯瞰するという手法です。

そこで、成人になってからの様々な精神的健康の指標(結婚満足度、対人関係、社会適応、自信)の規定要因とうつ病・問題飲酒行動を中心とした精神疾患の発現の危険因子として、児童期の体験(親との離死別などの喪失体験、親から受けた養育、児童虐待、いじめられ体験、その他の出来事)が占める寄与を検討してきました。

特に、児童虐待については、(1) 日本における児童虐待の頻度がこれまで考えられていた以上であることを見出だし、(2) 日本における児童虐待の特徴 (3) 児の心理的発達への影響及び成人になってからの精神状態への影響 (4) 児童虐待発生の要因 (5) 他の体験との相互作用 (6) 援助希求行動 (7) 介入方法の臨床的・制度的検討しました。

さらにわれわれは、パーソナリティと児童期の体験が現在のソーシャルサポート、QOL の良し悪しを決定し、さらに被養育体験や転居・いじめなどの児童期ライフイベンツが EPQ や TCI で測定されたパーソナリティ、抑うつ症状、反社会的行動などを規定していることを報告しました。

これら一連の報告は、図に示すように現在の心理状態の理解を個々人の生活史に求める臨床的態度の基礎をなすものです。例えば、子ども時代に不良な養育環境に置かれた者が成人になってうつ病を発症することも、両者間に直接の因果関係があるのではなく、そうした環境に育ったものほど自己指向性の低さというパーソナリティ傾向を助長し、自己指向性の低いものほど(ストレスに暴露した時に)うつ病を体験しやすいという cascade を形成しているのです。

また、児童期の性的不快体験についてもナラティブな研究を行ない、さらにこうした体験が PTSD 症状に至る介在変数として内的原因帰属と「恥」の感情があることを見出しました。児童期の体験のなかでも親の養育は重要性の高いものであり、これまで多くの研究を行なってきました。

思春期の異性へのアタッチメントや性行動も重要な研究課題です。
思春期はうつ病を中心とした精神疾患がその最初の発現をみる時期であり、この時期に人の「重要他者」は親から友人や恋人に移行します。こうした対人関係の変化がストレス因となることは臨床事例が多く示すところです。思春期のアタッチメント・スタイル(=恋人関係)は子ども時代にもっていた親へのアタッチメントの延長線上にあると想定されています。

従って、思春期のアタッチメント・スタイル(=恋人関係)は臨床上、大変重要な研究課題です。われわれは思春期のアタッチメント・スタイルの構造を研究し、それが児童期の被養育体験に規定されていること、危険な性行動が児の気質に規定されていることを報告しました。また、中年期の夫婦の適応がパートナーのパーソナリティに規定される部分があることも報告しております。

主たる業績一覧

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